『疾走クラウド』 「おいっ! のろのろ走ってると追いつかれるぞ!」 「なんなんですか! あいつらは!」 「俺が知るか!」  一瞬振り返った視界には、闇夜の中、森の木々をものともせず追ってくる黒い人影と殺気を伴った赤い視線が幾つも見てとれた。  早樹の疑問はもっともだが、俺もこっちの知識は基本的なものしか持っていない。しかも力のほとんど失った今の状態では、まともに情報を集めることもできやしない。  少なくともノアの追っ手ではないようだが、それでも現時点でポインターとの接触はできる限り避けたいところだった。 「遮蔽は使えるか?」  スピードを少し落として早樹の隣を並走しながら、それでも足場の悪い山肌を駆け下りつつ問いかける。 「基本術式は初期化されていないはずですから、多分、大丈夫だと思います」  額に汗を浮かべながら早樹は気丈に答える。しかし、その声は僅かだが震えていた。 「多分じゃダメだ。自分限定で試してくれ」  早樹は頷きを返すと起動錠文を呟いた。  次の瞬間、早樹の背後には翼を思わせる幾何学模様が浮かび上がった。しかし、それは片翼しかなく、対のもう一翼があるはずの場所には、壊れたガラス細工のような光糸が数本たなびくだけだった。 (この翼が、何のためにあるか知っているか?)  早樹の傷ついた光の翼を見て脳裏をよぎった言葉は、かつての親友の問いかけだった。  それは俺が訓練生だった頃、実地演習で今の早樹と同じように翼を損傷し、そのせいで親友に大けがを負わせてしまった時のことだった。  親友は力なく仰向けのまま、何もできずにうなだれる俺を見上げてそう言った。  その時の俺には目の前で起きている事すら満足に理解することができず、その答えさえも定かではなかったが、今ならわかるような気がした。 「琉史!」  俺を呼ぶその声に視線を向ければ、そこには何もなく、しかし足音だけが聞こえていた。 「よし。おまえはそのまま市街地のほうへ向かえ。俺はこのまま奴等を引きつける」 「そんな! 琉史も一緒に……」 「遮音モードも使えない状態では無理だ。いいから行け!」  俺は早樹を横に突き飛ばすと、加速のための一歩を強く踏みしめた。